【海外偏】歴史に名を残したボディビルダーまとめ!あの有名俳優も!?
近年は、芸人のなかやまきんに君やオードリー春日さんの大会への出場で、以前よりも知名度を上げつつあるボディビル。
ボディビル大会における観客の「肩にちっちゃいジープ乗せてんのかい!」などの個性溢れる掛け声もテレビで特集されて、大きな話題になりましたよね。
そんなボディビルですが、やはり一番の魅力は鍛えぬかれた出場者たちの筋肉美。
分厚い大胸筋、綺麗にシックスパックに割れた腹筋などを見ていると、格好良さを感じずにはいられません。
ボディビルは海外・特にアメリカで大きく発展した競技で、今でも伝説として語り継がれる偉大なボディビルダーを何人も生み出して来ました。
歴史に名を残すボディビルダーとはどのような人たちなんでしょうか?どのような活躍をしてきたのでしょうか?少し気になってきますよね。
今回は、海外の偉大なボディビルダー達をご紹介したいと思います。
これをきっかけに、ボディビルの世界に興味を持っていただければ幸いです。
日本で有名なボディビルダーも気になる!という方はこちらもチェックしてみてくださいね!
歴史に名を残すボディビルダーたち
【アーノルド・シュワルツェネッガー】
「シュワちゃん」の愛称で知られ、映画俳優やカリフォルニア州知事など様々な分野で大活躍した人物です。
映画俳優としての印象が強くて、ボディビルダーとしての彼は知らない、むしろ「ボディビルダーだったの!?」と驚かれる方もいるのではないでしょうか。
しかし彼はボディビル界最高峰の大会『ミスター・オリンピア』で7度もの優勝を誇る、ボディビルダーとしても超一流の人物なのです。
彼はヨーロッパのオーストリア出身で、1968年に本格的にボディビルをするために渡米。ボディビル大会で数々のタイトルを獲得します。
活躍の幅を広げるために、1970年には早くも銀幕デビューを果たしています。
そして1984年に公開された『ターミネーター』の大ヒットで一躍トップスターの仲間入りを果たし、その後の活躍は皆さんご存知の通りです。
彼は単なるボディビルダーとしての活躍だけではなく、ボディビルの知名度を高めることに大きく貢献した人物として、ボディビル史に残る存在だと見なされているのです。
【ロニー・コールマン】
先述の『ミスター・オリンピア』で1998年大会から8連覇の偉業を成し遂げた、ボディビル界のレジェンドです。
8回優勝は史上最多タイ、全盛期の筋肉量は歴代最高だったと言われています。名実ともに史上最高のボディビルダーの一人と言えるでしょう。
そんな彼ですが、元々は警察官として働いていました。
あるとき同僚から、体を大きくするためにジムに通うことを勧められます。この出来事がボディビルとの運命的な出会いでした。
コールマンのトレーニングの様子を見たジムのオーナーは、彼にボディビルの才能があることを見抜きます。
そしてボディビルダーとして本格的に活動することを熱心に勧めたのです。
こうしてボディービルダーとしての道を歩み始めたコールマンは、数々のタイトルを獲得しで史上最高のボディービルダーとしての名声を得ることになったのです。
人生何がきっかけでどう変わるか分からない、ということを教えてくれますね。
ジェイ・カトラー
一つ前で紹介した「ロニー・コールマン」に憧れてその存在を追いかけたと言われているのがジェイ・カトラー。
2001,2003~2005年に出場した『ミスター・オリンピア』で4度も2位という順位を獲得しながらも、なかなかチャンピオンの座を勝ち取ることが出来ずにもがいていました。
そこで何年も積み上げてきた自分のトレーニング方法を全て一から見直し、改善したそうです。
トレーニング方法を試行錯誤し続けた結果、2006年には念願のチャンピオンに輝きました。
2位という評価に奢らず、自分のトレーニング方法を見直すという謙虚さが素敵ですよね。
【セルジオ・オリバ】
『ミスター・オリンピア』で1967~1969年にかけて三連覇を成し遂げており、同じく1969年大会に出場していたアーノルド・シュワルツェネッガーを破った人物です。
彼の名前、漫画好きなら聞き覚えがないでしょうか?
そう、板垣恵介さんの漫画『グラップラー刃牙』に登場するキャラクター、「ビスケット・オリバ」のモデルとなった人物だと言われているのです。
セルジオ・オリバは1942年にキューバで生まれます。(ビスケット・オリバはキューバ系アメリカ人ですね)
現地でウェイトリフティングを始め、ジャマイカでの世界大会に出場。この時アメリカに亡命し、マイアミで働き始めます。
その後1963年にシカゴに移り、製鉄所で働きながらトレーニングに励みます。
地元シカゴの大会で優勝したのち、ミスター・オリンピアにも挑戦。1967年には念願の優勝を勝ち取るのです。
何のつてもないアメリカに亡命し、肉体労働をしながらボディビルの大会で頂点に。
アメリカンドリームの体現者と言えるかもしれませんね。
ナッサー・エル・サンバディ
大の親日家だったとも言われているナッサー・エル・サンバディ。
7か国語を操るインテリボディビルダーとしても有名でした。
1980年から2000年までの20年間もの間活躍され、『ミスター・オリンピア』の常連として知られています。
長い年月ボディービルダーとして第一線で活躍されていたナッサー・エル・サンバデイですが、ステロイドの大量使用が原因で心臓や肝臓など体への負担が大きく、47歳にし亡くなっていました。
【まとめ】
いかがだったでしょうか。今回は個性的なボディビルダー5人を紹介してきましたが、海外にはまだまだ偉大なボディビルダーがたくさんいます。もしご興味があればご自身でも調べて頂くと、更に奥深いボディビルの世界に触れることができますよ。